彼女の心に映る人 2

 

 

 とにかく、注文を終え、しばらくすると、注文した料理が運ばれてくる。酒が飲めないユリアスとゼシカの飲み物はミルク。料理は、パンと二切れのチーズと野菜サラダ。食の細い二人は、これで十分だった。ヤンガスは、葡萄酒に加え、腹にたまりそうな料理をいくつも注文して、その体格に見合う食欲を発揮している。

 ゼシカは、料理に手をつける様子もなく、ただ黙って俯いている。

「ゼシカ、ほら、食べなよ。せっかく注文したんだから」

「いい」

ユリアスの勧めも受け付けない。

(まだ怒ってるのか…)

ユリアスは、ゼシカが怒っていると思っているが、ゼシカ自身は、それと同時に戸惑っていた。

(何故なの?ユリアスが、他の女の人に言い寄られてるのを見ると、イライラしちゃう…。それに、これと似た思いをしたことが…)

 ゼシカの脳裏に、一人の青年の面影が浮かぶ。今は無き、愛する兄・サーベルト。

 

 

 

 ゼシカにとって、二つ年上の兄・サーベルトは、まさに理想の兄・理想の男性そのものだった。若きアルバート家の当主として、リーザス村を護る使命感を持ち、また、そのための力も十分持っていた。ゼシカが、まだ初歩の魔法を使うこともやっとなのに、サーベルトは、それ以上の魔法を使いこなす上、並外れた剣の使い手でもあった。誰に対しても優しい人で、村中の人達から慕われていた。顔立ちも悪くはない。その顔で優しい微笑を浮かべられると、自分の兄だというのに、どきりとしてしまう。

 

「ゼシカはお転婆だな。そんな調子じゃ、嫁の貰い手がなくなってしまうぞ」

いつだったか、サーベルトにからかい半分に注意されたことがあった。

「いいもん。わたし、結婚なんて全然考えてないから」

むきになりながら、こう反論したことを覚えている。

(だって、私、お兄様より素敵な人なんて知らないもの…)

 

だが、その兄に対し、たった一つだけ、不愉快な思いを抱くことがあった。

サーベルトは、同じ年頃の村の娘達の憧れであった。そして、屋敷のメイドにとっても、それは同じだった。サーベルトと話すときの娘達は、常にとてもうれしげだった。彼もそんな彼女達に対して、優しげな笑みをうかべて、話し相手をしたものだった。それを見るとき、ゼシカは胸がちくりと痛むことを自覚していた。

(私だけのお兄様なのに…)

兄が自分に対して向けてくれている微笑を、他の女性に対しても向けている。それが嫌だった。そして、そんな感情を持ってしまう自分自身も…。サーベルトにそんなことを知られたくはなかった。

 

 

 酒場の女達に言い寄られるユリアスを見て、こみ上げてきた不快感は、兄・サーベルトが女性と楽しく話す姿を見たときに感じたものと同じものだった

(でも、お兄様には、こんな気持ちを露にすることなんか出来なかったのに…)

 サーベルトとユリアス。ゼシカから見て、不思議なほど似通った二人だった。誰に対しても変わらない優しさも、剣と魔法を使いこなす力を持っていることも、その力を自分のためではなく、自分の側にいる大切な人達のために使うところも。そして、顔かたちまでが、なんとなくであるが似ていた。少々大きめの、優しげな瞳も、やや高めの鼻も引き締まった口元も。二人を明確に区別できたのは、瞳と髪の色だった。サーベルトはゼシカと同じ赤いトパーズの色彩を持つ瞳、亜麻色の髪。ユリアスは、黒曜石色の瞳、つやのある漆黒の髪。二人を区別できた点は、もう一つあった。わずかな開きの年齢差。それは、顔に表れていた。サーベルトは、大人びた雰囲気を持っていたが、ユリアスは、顔に幼さが残っていて、実年齢より下に見られがちだった。この違いがあるために、二人が似通った人間であることに気付けるのは、二人をよく知る人間に限られる。

(でも、ユリアスには……。どうしよう、あんなことして嫌われちゃったかな…?)

ゼシカは、普段の振る舞いからは似つかわしくない不安を生じさせていた。しかし、これらを中断させてしまうことが、酒場の中で起こり始めていた。やけに響く怒鳴り声。それを耳にした様子の客の何人かは、その声のする方角に視線をやっていた。ユリアスとヤンガス、そして、ゼシカは、ただならぬ雰囲気を察知して、席を離れて、怒鳴り声のする席に向かい始めた。

 

 

「あ、アニキ、もうこれくらいにしましょうぜ」

「やかましい!!このままで終われるか〜!!てめえら!有り金全部出せ!!10倍にして返してやる」

「む、無謀ですぜ、アニキ」

「うるせえ!!いいから出せ!!」

怒鳴り声の主は、熊を思わせるような巨躯を誇った男である。人相は、どこかの脱獄犯を思わせる険しさだ。カードを片手に怒鳴っているところを見ると、どうやら、ポーカーでの戦績が芳しくないようだ。子分と思われる二人に、必死に静止されている。ゲームを見物していたと思われる者、この騒動が気にかかって、席を離れて様子を見に来ている者が数人、熊男とその子分二人、そして、熊男の対戦相手とゲームテーブルを囲んでいた。

 ユリアスは、10歳以上は確実に年上のヤンガスから、「兄貴」と呼ばれ、慕われている不思議な少年だが、あちらの「アニキ」は、ろくでもないアニキのようだ。

「あ、あいつは…」

「知ってるの、ヤンガス?あの熊男を」

「あいつは、あっしの故郷のパルミドで、博打で負けると大暴れすることで有名な奴でげす。あいつの相手がやばいでげす」

ヤンガスは、熊男の相手と思われる男に目をやる。まず、赤が視界に入ってきた。その男は、赤い、どこかの制服のようなものを着ている。両手に黒の皮手袋をはめ、腰の辺りまである黒の裏地の赤マントをなぜか右肩だけに掛けている。右腰には細身の剣を差している。おそらく、どこかの騎士なのだろう。ただ、この男の最大の特徴は、服装以上に、人の目をひく、銀色の髪と整った顔立ちである。「美貌」という言葉は、女性に向けられるべき讃辞だが、この優男には、なんとなくその言葉がなじむ感じがある。

「たしかに、まずいな…。乱闘になったら赤い服の人、あの大男に徒手空拳じゃ勝てそうにないな…」

ユリアスは、口にした心配とは別の心配を、内心に抱え込んでいた。

(もし、あの赤い服の人が、身を護る必要に迫られて、剣を抜きでもしたら…)

「ねぇ、ユリアス」

ユリアスの懸念を中断するように、ゼシカが左袖を引っ張って、囁いてきた。

「何?」

「あの赤い服の男、聖堂騎士じゃない?修道士のくせに酒場で賭け事なんて最低よね」

持ち前の潔癖症ゆえか、ゼシカはだらしない男を嫌悪する。赤服の騎士も、その対象に十分なりうる男だった。

「確かに、感心はできないけど…」

 ユリアスは、別に潔癖症ではなかったが、聖堂騎士と思われる赤服の男の行為に、眉をひそめる思いならばあった。聖堂騎士も、修道士と同じ戒律を持つ立場である。賭博、飲酒はそれに触れる行為だ。ユリアスも、厳しい軍律をもつ立場の兵士だった。戒律と軍律の違いはあるが、厳しい規則を守らねばならぬ立場は一緒である。

 

「さぁさぁ、どうする?ゲームを続けるのかね?」

 赤い服の騎士は、子分二人ともめて、ゲームを中断している熊男に向かって、半ばからかう口調で問いかける。

「当たり前だ!!勝負はこれからだぜ!!」

 熊男は、もはや怒気に加えて殺気まで帯び始めた目で睨め付け、怒鳴った。

「グッド」

 対照的に、赤服の騎士は余裕そのものの口調で答える。そして、ゲームは再開された。

 

「3のスリーカードだ!どうだ!!」

 熊男は、自信気に言い放つが…。

「残念、Qのスリーカード」

自信は見事に砕かれた。熊男は元手を枯渇させてしまった…。

「て、てめえ…。イカサマやりやがったな!!!」

 怒り心頭に達した熊男は、もはや何の制御もしようとはしなかった。カードゲームに使っていた目の前のテーブルを蹴り飛ばすと、赤い服の騎士に殴りかかろうとした。しかし、その寸前、振り上げた右腕をつかまれた。つかんだ男は、こうなることをなんとなく予測していたヤンガスだった。

「おいおい、よさねえか」

 しかし、熊男に他人の制止など、火に脂を注ぐ役割しか果たさなかった。

「うるせぇ!!邪魔するな!!」

 ヤンガスの手を振り払うと、返す刀で斬るという感じで、裏拳をヤンガスに見舞った。鈍い音と共に、ヤンガスはよろめくが、倒れなかった。

「おい、てめえ…。随分上等なまねしてくれるじゃねぇか…」

 普段、仲間達に使う口調とは明らかに違う、荒々しいものに変わっている。

「やるか!!コラ!!!」

 もはや双方、殺気を漂わせ、激突へと突き進むかに見えた。だが、二人の怒気に駆られた闘志の火は、突然の「差し水」によって、あっさりと鎮火されてしまった。二人に掛けられた「差し水」は、なぜか臭う上、薄く茶色に濁っていた。「差し水」の正体は、モップを浸すために汲み置かれていたバケツの水。そして、それをまいた者は……。

「いい加減にして!頭を冷やしなさいよ!この単細胞!」

 ゼシカであった……。一触即発の危機を潰した、この美少女の快事に、見物客達は驚嘆の声、あるいは驚愕の声なき声を発している。赤い服の騎士は口笛でゼシカの勇姿を称え、水を差された熊男とヤンガスは呆気に取られ、呆然としていた。だが、この空気に呑まれなかった者が二名、否、正確には三名いた。

「こら、このアマ…アニキに何しやがる!!」

「女でもただじゃおかねぇぞ!!」

 熊男の舎弟二人である。自分達のアニキになされた、ゼシカの振舞いに対する怒りと、女などになめられてたまるかという意地が、彼らを駆り立たせていた。

「なによ、引っ込んでなさいよ、あんた達!!!」

 ゼシカももはや、止まりそうにない。この二人もゼシカの怒りなど意にも介さない。この光景に、店内のすべての客が注目していたため、二人の男の行動に気付かなかった。一人は、腰に差してある細身の剣を鞘に納まったままの状態で外し、立ち上がったのだ。そして、もう一人は…。

「やるか、コラ!!」

問答無用と言わんばかりの勢いで、二人のうち一人が拳を振り上げかけた。もう一人もこれに続く様子だ。

「あぶない、姉ちゃん!」

 周囲の野次馬の中から、思わずといった感じの叫びが聞こえた。だが、これは杞憂に終わった。二人組の男達は、不自然に表情を崩し、声もなく床に崩れ落ちた。このあまりにも唐突な光景に、野次馬達の多くは意表を突かれた形となり、驚きで表情を変えたのみで、声すらあげられなかった。ゼシカでさえ呆気にとられた。その彼女が、二人が倒れた後に見たのは、右の手刀を構えた少年の姿だった。

「ユリアス…」

 ゼシカが少年の名を呼ぶと、ユリアスは手刀の構えを解き、両目を閉じた。だが、火種は、全て消えたわけではなかった。

「こら小僧!不意打ちたぁ卑怯なまねしやがって…。よくも俺の舎弟をやってくれたな!!」

 ゼシカの「差し水」のショックから回復した熊男が、ズカスカと歩み寄り、ユリアスの胸倉を掴んだ。

ユリアスは閉じた瞳も開けず、表情も変えない。

「なぜ、僕を怒っているのですか?」

「な、なにぃ?」

ユリアスは、彼には似つかわしくない、不可解な、そしてふてぶてしい問いかけをした。

「僕はあなたやあの二人から、感謝されてしかるべきと思うのですが」

「なにわけのわからん屁理屈こねてやがんだ!!俺をなめてるのか!小僧!!」

 この場のみに限れば、熊男の怒りは正当なものだ。その上、ユリアスのふてぶてしい態度は、不当なものになってしまう。実際、野次馬達の中には、ユリアスの言動に不快感を覚え始めているものもいた。ゼシカですら、普段の生真面目でやさしいこの少年には、似つかわしくない不敵さに戸惑いを隠せないでいる。ヤンガスも、それについては同じであった。

 周りの空気が、ユリアスに対する不可解さと若干の不快感で満ち始めたとき、彼は閉じていた瞳を開き、口元にいたずらっぽい笑みを浮かべ、無邪気そのものという感じで一言放った。

「だってそうでしょう。大の男が二人がかりで女の子に喧嘩を売って、ボロ負けするよりも、僕の不意打ちで倒された方が、遥かに面目が立つと思うのですが?」

 別段大声で話しているわけではない。だが、ユリアスの声は穏かではあるが、心地よい高さを持っていて、聞く人に心地よく響く。響き渡ったあと、寸刻、静けさが支配した。押し寄せる怒涛の前兆としての静けさ…。

「プ…ク……ハッ………ハハハハハハハハハハッハハ」

爆笑は、野次馬達だけでなく、酒場にいるほぼ全員に感染した。給仕の女性達にも、バーテンにも…。ここにいる人はほぼ全員、先程のゼシカの勇姿を目の当たりにしているだけに、効果は抜群であった。ヤンガスなど、床に転がって泣き笑いをして床を叩いている。先程までユリアスに向けられていた不快感など、欠片も残さず吹っ飛ばされしまった。熊男は、ユリアスのあまりに珍妙な応答に毒気を抜かれ、つかんでいたユリアスの胸倉を外してしまう始末。そして、ゼシカが熊男の舎弟達に絡まれたとき、鞘に納まった状態の剣を持ち、割って入ろうとした赤い服の騎士も、笑いを制御できなかった。

(あのバンダナの奴、顔に似ずなかなか喰えないな…。だが、このジョークの代償は…)

 

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